好きな服を自由に着ていると心が解放される

こんにちは。Roです。

今日は娘のことを書きます。

彼女が小さかった時を思い出しながら

服と心の自由さについて考えてみますね。

「何を着たらいいかわからない」

「おしゃれ自体に興味がない」

「見た目なんてどうでもいい」

… と外見やファッションに関して
何か戸惑いや引っかかりのある人には
参考になるかもしれません。

どうぞ最後まで読んでみて下さいね。

子ども優先にしたかった訳

前回は
子育てとおしゃれの両立、出来るかできないか
みたいな事を書きました、

私がダサかったのは、
忙しい!と言い訳していただけ?

…と書きながら、
ココロの痛みも感じてしまいました。

それでも、娘に対しては
よく考えて精一杯やっていたよな…

だからあれはあれで良かったのです。

2歳で服をコーデしていた?

甘やかしはしなかったけど、
こどもの好奇心とかやる気は
大事にしたかったです。

その一環として、
着替えができるようになったら、
何を着るかは自分で決めていいことに
していました。

面白かったですよ。

3歳〜5歳くらいまで
超ロマンチックな服を彼女は選んでいました。

髪にはカチューシャ
靴はストラップ付きのエナメル靴
フリルスカートにベロアのトップス。

こう書くと

「ローさんのお子さんもスタイリングの勉強してます?」

と言われそうですが
全然違う職についています。

それはさておき、

小中学は普通でした。
高校時代はステロタイプの女子高生。

でも、大学くらいからぶっ飛んできて、
今現在は会社員をしていますが

ピアスは5個、

髪の色はトップがピンクです。
去年は緑でした(笑)

おじいちゃん、おばあちゃんも
びっくりしてましたが、
もう何も言わなくなりました。

夫は何にも動じず。

私はどう感じていたかというと

「面白いなあ」とか
「それはやりすぎ」とか
いろいろでしたが

こうしたいからそうしている

というのが私は好きで、
本人が機嫌がいいのは嬉しいものです。

でも
隣の家の小さな女の子が

「すごい髪色だね」

ママにひそっとささやいていました。

娘はちょっとだけムカついたようですが
友達には笑い話としてネタにしてたみたいです。

メンタルがたくましくて何よりです。

娘自慢?のようになりましたが

なってないか。

まあ、
何を言いたかったかというと

幼い時に親がなんでも決めてしまって
好きな服を着ることができなかった人は

もしかしたらそれが原因で

「何を着たらいいかわからない」

「おしゃれ自体に興味がない」

「見た目なんてどうでもいい」

という気持ちを抱えているのかな
とふと思ったんです。

親しい友人が

「親がキツかった」

「ファッション、わからない」

と、別々の日にふと言っていたので
もしかしたら繋がるかもしれないです。

外見を変えていくと毎日楽しくなってくる、
それは実際私が経験しているので

服が先でも、心の解放が先でもいいから、
その友達も何かしらアクションを
起こしてほしいなあと思っています。

あなたはどうですか?
子ども時代はどんな服を着ていましたか?

 

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こちらも是非お読みください。

4 件のコメント

  • 昨日横浜市のお洒落なストリートに、考えに考え抜いたコーデで出かけました。私は還暦を向かえましたが、かなり小さい時から
    母の着物の着付けを手伝ってきたので、服装に関しては研究熱心でした。とあるコーヒーショップでレジ待ちをしている時、私より多少若いおばさんがあからさまに私の洋服に驚いた表情を浮かべ、一緒にいた中学生位の息子さんに、同感を得ようと必死に話していました。決定的だったのは、提供されたコーヒーを受け取る時の私の右手にはめていたカオスのリングを見て、ほら!と息子に指を指したのです。彼女は地味でお化粧もしてるかしてないかわからない、着ている服は所謂ダサい感じでした。
    でも、東京で生まれて半世紀育ち、東京では感じたことの無い、ファッションに関する違和感をここ神奈川では感じます。皆と同じならオーケー、って感じなのでしょうか。東京では人とは違う個性で何の問題も無くいられたのに。とても悲しくなりました。
    でも、私は幼稚園の時、全く同じ事があった事を思い出しました。伊豆に旅行に行った時、地元の子供が上から下まで舐めるように私を見てきたので、ふん、田舎者!と無視しました。私はその時、自由が丘の白樺という子供服屋さんの上品なシルバーグレーのワンピースを着ておりました。幼稚園の行事の箱根の寮でのお泊りにもピンクのワンピースに真珠のネックレスでした。男子は蝶ネクタイの子もいました。茶道教授の母の着付け、銀座で着物を見て回るのは良くあることで、母に色合わせの相談も受けていました。
    育った環境ですから私はこのお洒落感覚は授かった財産だと感謝しています。
    心ない人のねたみ、どうしたらよいのでしょうか。横浜に越してきてから、ここでは私を避ける人が多いのです。
    私はよく、アパレル関係の方ですか?とデパートの店員さんに言われます。違います。ちなみに画家でもあります。
    この地で今後ずっと生きていくのに、周りから異質な人と見られることがストレスにならないようにと思うのです。
    人は異質なものを恐れます。みんな怖いのでしょうか。郷に入れば郷に従え、と言いますけれど、そんな気持ちはありません。
    好きな服を自由に着る、のみ。なんであからさまに、服装批判するのか、おバカとしか思えません。

    • エスパスエルメスさん
      コメントをどうもありがとうございます。

      横浜で残念な思いをされているのですね…。

      でも、

      「私はこのお洒落感覚は授かった財産だと感謝しています。」

      このお言葉、とても素晴らしいと思いました。

      誰もが手に入れることが出来ない
      きっと特別なものだと思うからです。

      その美的感覚が
      きっと芸術にもつながっていて
      ご自分からはもう
      引き離すことが出来ないものなのではないでしょうか。

      特別なものはとても少ないので
      ハッとする人も多い、
      そういうことなのかなと思いますよ。

      うまくお返事できなくて心もとないですが
      エスパスエルメスさんが
      心からファッションを楽しみ
      愛情をかけることを最優先にされれば良いなあ、
      そのようにお読みしていて感じました。

  • R.oさんこんにちは。
    若い頃はお金に余裕がなかったり、子育て中はそれどころではなかったり。健康面で気になったり、と好きな服を着られるのは幸せなことだなぁと思いますね。
    おなじように育ててるつもりでも服に興味のある子と全く興味のない子!これも個性なのでしょうね。
    私が子供の頃は母が知り合いの方にコートやワンピースなどを作って貰ったりと楽しかった思い出があります。大きくなるにつれて母と買い物に行くのも楽しかったですね。
    こうして考えててみると、服と思い出って繋がっているんですね。

    • コメントどうもありがとうございます。

      >おなじように育ててるつもりでも服に興味のある子と全く興味のない子!これも個性なのでしょうね。

      これは不思議ですね。

      洋服を作ってもらったなんて
      とても素敵な思い出ですね。
      きっとその服が素敵で、周りにも褒められた、
      という思い出とセットなのでは?
      と思いました。

      私の場合は、
      外出時は母がそれなりに立派に見える服を
      着せていましたね。
      写真を見るとわかります(笑)

      普段は覚えてないので適当だったのでしょう。
      本当にこの辺、後々影響を与えると思いました(^-^)