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「可愛いおばあちゃんになりたい」これは気持ちの悪いことなのか?|内館牧子と坂東眞理子

こんにちは。Ro(ろー)です。
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2019年のものですが、こんな記事を読みました。

内館牧子、坂東眞理子の可愛いおばあちゃん願望否定に共感
 

可愛いおばあちゃんになりたい、という人は気持ち悪い。

それはどういうことでしょうか?

二人はどういうところに違和感を覚えたのでしょう?

記事の要約とわたしなりの感想を書いておこうと思います。

あなたも将来の自分像はどんなか、考えてみませんか?

内館牧子氏の意見

記事を要約すると、内館牧子さんは

「可愛いおばあちゃん願望は気持ち悪い」

とのことです。

なぜかというと、「可愛い」とは、この場合、他人に「可愛い、愛されたい、大切にされたい」という受け身の姿勢だから。

若い人が他人の目線を気にして、身なりや仕草に気を使うのはまだ許せる。

なぜなら、これからパートナーを見つけて”巣作り”したいから。

そんな本能には逆らえないもの。

でも、70歳も超えてまで、「人からよく思われたい、か弱い存在として保護されたい」なんておかしい。

そういう意味で気持ち悪い、と言っているのだと思います。


すぐ死ぬんだから (講談社文庫)

坂東眞理子氏の意見

坂東眞理子さんは昭和女子大学理事長・総長で作家でもあります。

どんな意見なのでしょうか。

「可愛いおばあちゃんになりたい、尊敬される老人になりたい、というのは他人の好意や敬意を得たいと意識していること。」

「人からよく思われたいというのは、自分の意志を貫くことを放棄した責任逃れじゃないか」(記事から引用)

と、かなり厳しい意見を持っています。


言い訳してる場合か!

感想

二人の考えを読んで、私が持った感想は

「この二人ほんと可愛くないよな!」

という思いでした(笑)。
 

終わった人 (講談社文庫)

 

こういう「人からどう思われるか」問題は、生き方そのものが反映されます。

自分をつらぬくことと、人を信じて甘えてみることと。

どちらも生きていく上で大切なことではないかなー、と思うのです。

ファッションで考えると、自分をつらぬいた服装は美しいです。

でも、行き過ぎると痛々しい独りよがりにもなります。

一方で、親や、パートナーや、職場の上司の言いなりな服装も「自分」がなく面白味がありません。

要するにほどほどが良いのであって、そのバランスをうまく取っている人、それが私の思い描く老年期の自分です。

というわけで、わたしは「可愛いおばあちゃん」になりたくもあり

同時に頭はしっかりしていてちゃんと自分の意見も言えるばあさんでいたい。

そういう思いがあります。なんか風見鶏?

可愛い、は降参すること

記事中のお二人は、「可愛い」に対して否定的ですよね。

しっかり自立していて社会的な地位もあるからこそでしょう。


今度生まれたら

 

でも、いつかは人の手を頼らなくてはならなくなる時が来ます。

それが80歳なのか100歳の時なのか?

わかりませんが、その時はあんまり気が強くてもお世話する人は困ります。
我を張りすぎないバランス感覚。

(ほんとは不本意だけどしかたがない)

と、猫をかぶることも可愛さの本質だと思います。

私の中の感覚では「ぶりっこ」「かわい子ぶりっこ」です。

頑固なお婆さんが可愛こぶりっ子する様子、すごく可愛いと思うんですけど。

 

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